ひだまりBlog

グループホームのささやかな幸せ

幸せとはいったい何なのでしょう。これが意外にわからないものです。世の中にはお金はたくさん持っているのに人が寄りつかず家族にも疎んじられ、さびしく有料老人ホームで暮らす人もいるし、一方では生活保護でお金はないが、小さな幸せを感じながら生きている人もいます。

ひだまりのいえでも、テレビの歌番組を楽しんでいるご利用者様の微笑む姿をみて、「この人にはひどい虐待の過去があったな、確か。」と振り返りしんみりした気分になることもあります。私でも感傷的な気持ちにはなりますよもちろん。「ニッセン(通販)でシャツを1枚買った」「マクドナルドに行った」「サイゼリヤのランチ(500円)を数人で食べた」「リサイクルショップにいらない洋服を売りに行き、売れたお金で古着を1枚買った」こんなささいな出来事に喜びを感じられる生活はある意味豊かです。

「ある人がいうには俺に気がある女性が何人かいるんだって」ちょっととぼけたキャラの男性利用者が夕食の団らんでこんな話をされることもあります。彼の小さな悩みは自分に好意を持つ女性がいるのは仕方ないが、自分には経済力がないのでどうしたものだろうか、とのこと。世話人さんと私は(いい話だな、私はそんなモードにはぜんぜんならない)と話をしたりします。

人生を絶望することなく、むしろ非現実的な希望を持って生きているご利用者は多いですね。

自分はかっこよくてモテるのでどうしようか。ホストになるとよいのだろうか。テレビのドキュメンタリーでもやっていた。女性向けの性風俗もあると聞く。そんな仕事は楽しいのではなかろうか。こんな夢を漠然と語る利用者に現実をみてもらい、就労訓練をして障害者雇用までフィニッシュするのはなかなか難しいことです。

いや、ここまで書いて、前段の「ニッセンのシャツ1枚購入する幸せ」と後段の「自分はモテるのでどうしたものか」は全く異なりました。後段の人は幸せとは違います。勘違いをしているのですから。この根拠のない自信はどちらかといえば男性に多いですね。周囲は無碍に否定もできません。かといって「東京に出て役者になる!」と言い出したらそこはうまく説得して諦めてもらう必要があります。

ある日本の精神科医がアメリカでカウンセリングの修行をしていました。高等数学に詳しいクライエントがいて、難しい数学理論を語り合うのが楽しみだったそうです。ある時にその人が精神科医に改まって相談があると言われて「コンピュータのアプリケーションソフト(OS)を開発した。おそらく自分には莫大なお金が入ってくるだろうがどうしたものか」と打ち明けられたとのこと。一言で言えば彼はWindowsを発明したのです。精神科医はそこで彼の病理を実感したのですが、ある新薬がクライエントにとてもよく効いて精神病の症状はなくなりました。ところがカウンセリングの彼はかつての生気を失い、ついにはうつ病になってしまったとのことで、「彼を治療したのは正しかったのだろうか」と後になっても自問自答するのでした。

『治す』ってことがその人にとって本当によいことなのか、なんだかよくわからなくなります。

私事ですが、今はコロナ禍なので行けませんが、きれいな女性が接客してくれる飲み屋さんに通うことがありました。私は夜のお店ではモテるのです。これは事実であり、現実の出来事です。接客の女性は私によくしてくれるので、私はアタリメだの焼きうどんだのを頼みますし、ボトルも頼みます。いつもよいタイミングで焼酎のボトルは空になり、退店する前に注文することになります。

私は幸せなのでしょうか。

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