夏休みの終わりも押し迫ってきました。この時期になると小学校、中学校の頃、たくさんの宿題を抱えながらろくに手をつけていなくて気持ちばかりが焦る日々を思い出します。(今振り返るとADHD的な特性だなとわかるのですがもちろん当時は社会ですら発達障害についてはろくにわかっていませんでした)。中3の夏、新学期が始まる数日前、夏休みの自由研究の課題をどうしたらよいかわからず、私は近所の公園でぼんやり地べたを眺めてばかりいました。そこには大きなアリや小さなアリが地面を移動するありふれた光景がありました。しばらくしてある種の大きなアリが一方通行のように一つの方向に移動する規則に気づきました。数分前に通過していった同じ「道」を別のアリが通過していくのをみて「アリは適当に動いているのではなくてその移動には法則があるんじゃなかろうか」と思い、アリに白い粉をふりかけて後を追ってみたりしてその様子をノートに書いて自由研究として提出したら賞状をもらいました。夏休み終了前の逆転劇といいましょうか怪我の功名でしょうか。
大人になってから『働かない蟻にも意味がある』という本を読み、蟻は半分以上が仕事をせずに遊んでいることを知りました。なぜ遊んでいるのかという点については、仮説ですが働く本隊に何かがあった際のバックアップ機能としての役目を果たしているのではないかとのこと。蟻は例えば働く蟻ばかりを集めて巣を形成させてもその中で働かない蟻が発生し、働かない蟻ばかりを集めて巣を形成させても一定数の蟻は働きだします。巣は存続するようです。人間社会にも通じるものがあるのではないかというのがこの本の主旨です。
ところで精神科医YouTuberの益田祐介医師をご存知でしょうか。彼が働くことについて興味深いことを語っていました。
『健康〜不運〜病気』
精神疾患の病気に罹る人は自分が病気か健康かの2者間を気にする。病気を治して健康になり社会という森に戻りたいと思う。だが、精神疾患は会社でストレスがかかるなどの「不運」とか不幸を経由して病気になる。(遺伝的因子+ストレスで病気になる)精神科医療により投薬などで病気を脱することはできるが、医療では病気→不運に変わっただけであり健康にまでは変えることはできない。
例えば発達障害の人が投薬により仕事のミスが減ったとしても楽になるわけじゃない。人により「それなら病気のままのほうがいいのではないか」と考える人も出てくる。社会や健康的な人たちの集団から外れた場所にいた時に、森の外で生活し続けることはダメなことなのかということです。益田医師は「そんなことはない」と言います。森の中に入らずにその周辺で生きるという選択肢もあるというのです。働かない蟻にも意味があるということです。
私たち支援者は、ついつい青年の就業について強く促すケアプランを立てます。就業継続支援に努めながらも障がい者が仕事を定着させていくのはなかなかに大変です。失敗してふさぎ込む人もいらっしゃることでしょう。それはそれでいいのではないかと益田医師はおっしゃいます。このような考え方は歳を重ねるほうが身に染みてわかってきます。私は十分に理解してきましたとさ。
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