障害福祉の同業者でなかなかにチャーミングな女性に出会ったことがありました。40代なのですが私の目には28歳くらいにみえる見た目で、おしゃべりがとてもうまく、その時の状況に応じて、臨機応変に態度を変える、要するに空気を読む力にとても長けた人でした。見た目がおしゃれで可愛らしい方なので、それで世の中、通ってしまうところがあり、無論、この私も彼女に依頼されると断れられなくてついつい承諾してしまうのです。もしかするとその際の私はだらしなくニヤけた顔をしていたかもしれません(いや、そこまではないか)
その人は、若いときは渋谷のコギャルで、社会人になってからは高級クラブのクラブホステスを生業にしていました。コミュニケーション能力に天性のものがあり「マル暴係」とお店のママには呼ばれていて、暴力団関係者がやってくると席につかされるキャラだったそうです。(他の嬢は怖くてつきたくないので)そのキャバ嬢的人生を歩んでいた彼女も年月を経て、ある意味その道はやり尽くしたのでしょう。障害福祉の世界にやってきたのです。私生活において、福祉業界に進もうと決意する何かがあったようです。
ある時、彼女が働く会社で行われる会議において「ヘルパーさんの接遇の質をよくするにはどうすればよいか」というよくある議題で話し合いが行われていました。その時に彼女はこのように発言しました。「クラブ、キャバクラといったお店に研修目的で行ってみたらどうか。私は水商売で客あしらいを覚えた。私ができたのだから、みんなもできるはずだ。」
会社においてよくある論法、上司による「(できの悪い)この俺でもできたのだから君だってできるだろ」論です。確かに水商売やもっといえば性風俗業界と福祉の仕事は共通項が多いとかねてから私は考えていました。福祉の職場でうっかりこれを口にすると当然のごとく女性スタッフの地雷を踏むことになりました。私は「そういう考え方って職業差別ではなかろうか」と心の中で思うものでした(決して口にはいたしませんが)。
自分ができるからといって他人もできるだろうと考えることは身勝手な考えです。特に福祉の仕事をしていると、通常ならばなんてことなくできる事がその方にとってはとてもリソースが割かれる、それだけで疲れ切ってしまうという現場によく出会います。
タモリの名言に「やる気があるヤツは去れ」という言葉があります。言葉の発端は番組スタッフとの新番組か何かの打ち合わせの席で出た言葉らしいのですが、タモリ自身による解説によれば「物事の面白い事は中心にあるのではなく周辺にある。」
「やる気のあるヤツはとかく真ん中ばかりみている。周辺が見えていない。それじゃ、いけない。」とのことでした。タモリはここ20年くらい、前に出ていくような役割をしません。番組のMCでありながらもどこか俯瞰して眺めているような立ち位置で進行しています。ほとんどしゃべりもしないのに番組は成立していることがよくあります。ここで皆さんに勘違いしてほしくないのは、タモリは決して仕事をサボっているわけではないのです。大げさに表現すれば天井から眺めている、いわば「神の視点」で物事をみているのです。
チャーミングな見た目の私の知人は、「やる気のあるヤツ」でした。ですが周囲の人はなんとなく窮屈さを感じていたのか、その後についていく人はいなかったのです。結局、彼女がその会社を去ることになってしまいました。私は残念に思います。彼女はプレイヤーとしてはとてもよい資質を持っていたが、組織でのリーダーシップではうまくいかなかったのです。周辺が見えていなかったのですね。
心に刺さりますね。私も夜の蝶々出身です(笑)
世話人さんの仕事にしても楽そうで難しいものですよね。求職者等へもうまく言葉で説明できなくて困ることもあります。
体験しないとわからないことが多いのが福祉の仕事です。いつもコメントありがとうございます。