ひだまりBlog

インターネットで人生カワタw!

今日は始めにガラケーのエピソードからしますか。私が携帯電話を持ったのは1995年頃でした。まあ普通のタイミングといいましょうか、ドコモだけでない当時の携帯電話会社各社のアンテナ網が、僻地を除いてほぼ整備された頃です。1993年頃の日本は「ポケベルが鳴らなくて」という歌謡曲がヒットするなど若者がポケベルを使って数字を言葉として当てはめて通信していました。1992年頃、会社では営業の人がショルダーバッグみたいな電話を持たされているのをみて「俺は嫌だな‥」と当時は思いました。ポケベルでも『鵜飼の鵜』のように管理職に手綱を取られるのに、いつでも向こうから電話がかかってくるなんて奴隷のようだとすら思いました。ただ、成績の良い人にしか高価な携帯電話は配給されませんでしたのでステータス感は高かったです。いずれにしてもあくまでも仕事で使うものでした。

ケータイ電話は通話をするもので1996年に香港に旅行すると地下鉄内でもどこでも人々が電話していて喧しかったです。香港は電話線のインフラ整備が遅れていたので、逆にケータイ電話の普及は日本より早かったのでした。のちに日本でも公共の場所での通話が社会問題となっていきました。

1999年になるとケータイにはカメラが付き、さらにはドコモのショートメールだけではなくインターネット網を使った電子メール機能が付きました。振り返るとこれは画期的な出来事でスマートフォンへと発展する第一段階でした。

◎聾唖者のQOLを変えたガラケー

2002年の私の記憶で、当時勤めていた職場にインターンシップで聾唖の女子高生が来ていました。彼女にとってガラケーは革命的ガジェットでした。メモ帳機能で文字を打って相手にみせればコミュニケーションができるのです。彼女は「女子のバレーボールをみるのが好きです」なんて打って私に見せてくる。社会的機能が格段にアップしたのですよ。これこそユニバーサルデザインだ、ノーマライゼーションだと当時は思いました。またこの頃はPDAという電子手帳が発展したガジェットがありカレンダー(予定表)やアドレス帳として使っていました。スタイラスという小さなペンで感圧式のタッチパネルに記すのです。アルファベットの書き方も一文字型の独自の文字がありそれを覚えたものです。赤外線通信機能があり同じPDAを使用する人とならスケジュールや予定のデータを飛ばすことも出来ました。が、なにぶん日本では使っている人があまりいませんでした。若い男性職員とPDAについて語ったものです「これに電話がついていればいうことない。」

2007年にアップルが「iPod」+「ブラウザ」+「電話」のガジェットを出してくれました。

iPhoneです。

前振りが長いブログですが、一つだけ。私は自分の記憶だけでこれを書いています。よく西暦何年かまで覚えているものだな。

◎個人の海外旅行を変えたスマホ

時代は移り変わり2023年。私はスマホとPCで20年前では考えられなかった社会的機能(QOL)の向上をみせています。

  • まず、航空券やホテルの予約・購入を自分でやる

スカイスキャナーというブッキングサイトの比較サイトでどのサイトが安いのかも含めて検討します。航空券については、航空会社のサイトで買っています。ブッキングサイトだと預け入れ手荷物の従量課金や機内食の選定、フライトの変更ができるか等の複雑なオーダーはできないからです。ホテル予約はagodaを使っています。キャッシュバックキャンペーンが豊富です。

  • 空港でのチェックインも事前の電子チェックインが普及してきて時間が短縮されています。カウンターで予約の紙をみせなくてよくなりました。(※コロナ渦では必要だった)現在は撤廃されましたが『S.O.S』という厚労省のアプリでコロナ陰性証明書の提出等を行なっていました。現在は日本に入国時の税関のアプリ『VISIT JAPAN』が検疫も兼ねています。
  • タクシーは配車アプリで呼ぶ

先週、タイのバンコクにいたのですがタクシーはGrabという配車アプリを使いました。呼ぶ時に料金は決定されてクレジットカードで決済されます。運転手へ現金を渡すことはありません。グーグルマップと連動していて今、自分がどこを走っているのかがわかります。タイのタクシー運転手はメーターを倒さないでぼったくる悪質な人が多いのですが、Grabを利用することでこの被害に遭うことがなくなります。

  • とにかくグーグルマップは便利

レストラン、買い物、ホテル、行き先を道案内してくれるし、そのログを永遠に記録してくれる。行く先々で写真を撮れば、これもマップと同期される。3年前の旅行の行程がすぐさまわかり、気に入ったお店に再訪するのもカンタン。これが世界中でできる。

かつて、90年代にH.I.Sが旅行代理店として価格破壊をしましたが、今の私にはH.I.Sも必要ありません。すべて自分でブッキングできるのです。

  • 海外の人との交流では翻訳アプリやAI翻訳機を使っています。グーグルレンズは便利なもので外国語のメニューもスマホをかざして翻訳させれば内容がだいたいわかります。

◎労働集約型の仕事にあってもある程度のITスキルが必要となった

聾唖者にとってのガラケーも画期的な出来事でしたが、それを遥かに超える便利を私は享受しています。そして異国の地でLINEWORKSをチェックしながら思うのです。

「10年後には世界はさらに変革しているだろう。利便な世界はさらに続く。」それがわかっているのに、この仕事の業務において20世紀のスタイルを続けているのはおかしい。私の亡父は70歳でPCを触りだしました。損保代理店の業務がIT化されてパソコンが使えなかったら仕事にならず廃業するほかなかったからです。実際、社会の変化についていけずに廃業した仲間もいました。ひだまりのいえでは世話人さんでもスマホが使えない方は業務に就けません。ひだまりサポートは求人にあたり年齢制限を設けていませんが、それほどの年齢でなくても面接で弾かれてしまう場合はこういう理由も多いのです。

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