ひだまりBlog

アスペルガーダラケのこの世界よ

横浜市の高齢者向けの病院で、入院患者が次々と亡くなった事件(1年で20人とも40人とも言われる)大口病院の事件を覚えていますか。先日、一審の判決で、女性の元看護師には無期懲役の判決が出ました。3人を死なせた件についてで、無期というのは異例でした。裁判官の無期懲役の理由として「被告には自閉症スペクトラム(アスペルガー)があった」ことを理由にしています。最近、ネットニュースサイトでも毎日のように発達障害についての解説記事が載っていますが、世の中は発達障害を理解しよう、受容しようという流れになってきました。

私はこの仕事をするようになってからほぼ毎日、発達障害の人と対面し、発達障害について考えています。発達障害について書かれた本も読みます。理解も深まってきましたが、心が疲弊することも確かで、発達障害者と長期に渡りまた長時間の接遇をするこの仕事は大変な仕事だなと感じます。

なぜこんなに疲弊するのかを考えたりするわけです。もうそこからして神経症的思考に陥っていると思うのですが仕方ないです。高校時代の同級生で仲の良かった女子二人が最近、絶交状態になったと聞きました。一人がアスペルガーとのことです。私にとっては二人共昔から少々知る人物で「A子さんはアスペルガーだったのか」と知った後、「確かに言われてみればそうだ」と納得しました。B子さんがA子さんと絶交したのは、B子さんのアスペ特有の言動に耐えられなくなったためで、A子は「私はアスペルガーなので仕方がない、配慮して!」とのことなのですが、B子にしてみると理屈ではわかっていても感情がそれを許さないということなのでしょう。B子の心情はよく理解できます。

グループホームには統合失調症の既往歴のある人が多いのですが、この病気については、私は発達障害のある特徴の人ほどにはストレスを感じません。本人にとっては辛い妄想でも他者には、魅力的な発想に思えることもあります。ですが、統合失調症の人はアスペルガーでもある人が多く、その特有の話の噛み合わなさや自分勝手さにはイライラすることがしばしばあります。本当にこのすれ違い感はどう解決したらよいのでしょうか。『合理的配慮』とやらにも限界があります。生きづらさを感じている発達障害者自身はもっとお辛いのでしょうが。

発達障害エピソードを「こんなことがありました!」と世話人さんから話を聞くことも多いです。「聞いてください!」と誰かに打ち明けないといられない状況なので私は傾聴に努めます。発達障害者の突拍子もない言動、なんとなくへんてこな行動は、暴力などと違って瞬間的に嫌悪を抱くのではなく、ジワジワと心にくるのですね。1週間、1ヶ月とロングスパンでダメージを与えてきます。通常は利用者の言動ですが、時々、職員の言動がそれであることもあり話が複雑になってきます。発達✕発達の図式は私もめまいがしてきます。しかも私自身がADHDの傾向が強いことを自覚してきました。こうなると定型発達のほうが珍しく思えてきます。

大口病院の事件では被告はアスペルガーというより統合失調症ではなかろうかと推察する精神科医もいました。精神疾患が刑罰にどのような影響を与えるのかは難しいものですが、彼女が妄想性の統合失調症であったならば無期懲役は妥当な判決だと思います。だが、アスペルガーという事実だけで極刑を避けてよいものなのでしょうか。毎日、アスペルガーと格闘している私には甘い判決であると感じるのでした。

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