ひだまりBlog

よいこともする悪い人がいる

昔の話です。ケアマネの仕事をしていた時にちょっとした虐待のケースに出くわしました。ご利用者は要介護5の寝たきりの女性で、体位も変えられない、意識レベルも低い方です。その介護を50代の一人息子が献身的に行っていました。ケアプランとしては訪問看護、訪問介護、訪問入浴と区分限度額一杯にサービスを入れて、毎日、誰かがそのお宅にやってきて主に身体介護をしていました。嚥下に問題のある人で食事にとても時間がかかったことを記憶しています。息子さんからは「母は一人で私を育ててくれた」と感謝の言葉が時折あり、会社も辞めてつきっきりで介護をしていました。

共依存といってよいほどべったりしていて、ヘルパーへの視線も厳しく、支援者もちょっとやりにくいケースでした。普段から細かい注文を入れてくる息子さんでした。

ある日、訪看のナースから電話連絡がありました。「身体に青あざができている。以前にもこのようなことがあった。つねってできたあざだと思う。息子は虐待をしていると思う。どうしたらよいか。虐待をやめさせたい。」

甲斐甲斐しくスプーンでミキサー食を母親の口に運びながら「お母さん、ごはんだよ」と声をかける息子。そのべったり感を「気持ち悪い」という言葉の悪い女性スタッフもいたのですが、彼は一方では、身体的虐待をしていることがわかりました。

こんな時にケアマネが行なうのはサービス担当者会議です。議題は「息子さん、なんで虐待するの?」ではもちろんありません。彼の支援者に対する細かい注文について「できる」「できない」、また息子さんの介護における役割を話し合いました。会議を開くという話を私から受けた息子さんは怪訝な反応で「なんでそんなことが必要なの?」とやや反発ぎみでした。細かいクレームはするがオフィシャルな場での話し合いを嫌がるのですね。

支援者側が集まり連携している姿勢をみせるのは大切です。「いつもみているぞ」という牽制球を投げ続けることで、虐待に歯止めをかけます。

私は本人を施設へ入所させるのではなく在宅介護を続けました。看護師は保健所への告発も考えていたようですが、その後は息子さんの虐待にはストップがかかったと記憶しています。

私は息子さんの行動をみて「甲斐甲斐しく介護をしている息子」の側を選びました。

「虐待する息子」にフォーカスしすぎないようにしました。穏便に済ませたのです。

話は変わって、BBCテレビのドキュメンタリー番組によるジャニー喜多川氏の少年への性的虐待加害が、ネット上では話題になっています。

何十年にも渡り、ジャニー氏は少年たちへ性的行為を迫り、仕事を与えることとの交換条件で性的行為をしていました。これは裁判でも事実として認定された事例もあり、彼の行動は公然の秘密で、知ってはいるが語らない、業界が取り上げないイシューでした。(日本においては今も)

田原俊彦さん、近藤真彦さんが活躍する1985年頃、当時大学生だった私の耳にもこの手の噂話が耳に入ってきました。「夜のヒットスタジオ」で歌手の後ろで踊る人たち(名前忘れた)に、同級生の姉が入っていて、スタジオ裏の噂話で、やれ「田原俊彦は従順だが、マッチはジャニーに反抗している。だからマッチは出世しないだろう」なんて情報が入ってきていました。噂はどうも逆だったようだと後にわかりましたが。「福田赳夫元首相と田原俊彦」なんてワードも耳にしましたがこれは事実認定された話ではないので忘れてください。

BBCドキュメントでも取り上げられていたようですが、元ジャニーズへの取材に対して性的被害を告白する人がいる一方で、ジャニー氏を擁護する人、「ジャニーさんはよい人だ」とかばう人も出てくるのです。私はこの番組を部分的にしか観ていませんが、キモはここにあると思います。(そこんとこ)さえ我慢すれば、少年たちはスポットライトを浴びる世界にデビュー出来て、場合によっては大金を稼ぐこともできるのです。

BBCは擁護する人もいることについて「これはグルーミングによるもの」と位置づけているようです。性的加害者が、児童と仲良くなり手なづけて、ある種、洗脳して事に及ぶのです。心の傷に自ら蓋をしてそれが大人になってから思い出されることもあるようです。

少年アイドルを育成することにおいては天才的才能があったジャニー氏でしたが、同時に深い闇を持っていました。

「よいこともする悪い人」という点ではマザーテレサも彼女の本当の姿が顕になっています。彼女が運営する「死を待つ人の家」では、感染症対策をしていない、疼痛のある人に鎮痛剤を与えない(この苦しみに耐えるのが神からの試練であるという考え)デタラメな運営がなされていたことが、この施設に勤めた人や、訪問した医師により告発されています。末期がんの人に対して勝手に洗礼をするとか(ヒンズーやムスリムの人なのに)、色の浅黒い人たちへの「彼らの惑溺と怠惰を救済する」というなんともレイシズムな考えが根底にあったようなのです。彼女に使える聖職者たちへも休日にはお互いの接触を禁ずるといったカルト集団にありがちな洗脳スタイルをとっていました。死後、カトリック教会は彼女を聖人と認定しましたが、よく功績を調べてからするべきでした。

Netflixのドキュメンタリー作品でもいくつかのカルト集団がテーマの番組があり、私は興味深く視聴するのですが、彼らはよいこともするのです。表面的には善意の塊の部分しか現れず、慈善事業、ボランティアをする人に対して、世の人々は寛容です。

我々、福祉の業界にも多く潜む闇のような気もします。

自分に酔いがちな人や、大仰に慈善を語る人には気をつけたほうがよいでしょう。

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