ひだまりのいえが立ち上がってすぐの時期、私は一世話人として働いていた時期があるのですが、その当時のサビ管がこんなことを伝え聞いたようで私に話しかけました。
「世話人にはあまり情報を与えない方がよい。世話人とはあまり密に接触しない方がよい。と、あるコンサルに言われた。そう考える人がいる。」
ざっくりしすぎた話で、情報ひとつとっても、どんな情報は共有すべきなのか、管理者やサビ管くらいで秘密にすべきなのか具体性にかける会話だったのですが、私は(それではうまくいかないだろう)と腹の中で考えていました。
また、なぜ福祉コンサルがそのような指導に至ったのか、その経緯も知りたいと感じました。何か理由があっての事なのでしょう。
私は社会福祉法人の施設に長く居ましたが、そんな発想で仕事をしているところは一つとてありませんでした。
グループホームの世界にやってきて漠然と感じたのは、多くの経営者が世話人職の人を上から見下ろすような視点でみていて、そのようなスタイルでないとうまくいかないと確信的に考えている様子なのです。
何か物事を決定する流れとしてトップダウンの意思決定のスタイルの会社とボトムアップ、現場の職員の意見を上に上げていくスタイルの会社があると思います。GHを運営する新興の事業所(主に株式会社)はトップダウンなのだなと感じました。
管理者とサビ管の二人三脚ですべて意思決定し、世話人は指示の通りに動くスタイルです。(大きな会社だと数カ所のホームを統括するエリアマネジャーなる営業管理職的なポジションがあり、彼らが意思決定しているようです)ひだまりのいえも大事な意思決定はそれに近いですが、個々のケースについては、ちょっと異なるスタイルの運営をしてきました。
ひだまりのいえは組織図的に世話人の一つ上に世話人リーダーというポジションがあります。私は世話人リーダーとはなるべく頻繁に接触して、話をするように努めています。
新規のホームオープンの際は尚更で、足繁くそのホームに通うようになります。
2箇所目の女性棟が出来た際は、世話人リーダーは私が来るのをいつも待っていて、遅い時間帯になってもリビングで話をしたものでした。そこでお互いに何か話したい用件がある事ももちろんあるのですが、特になくとも、ただ顔を見せるだけの目的で通っていました。利用者は就寝し静まり返った空間です。当時のその女性世話人リーダーは、私の顔を見て「あっ、そうだ!」と思い出したようにケースの話をする事がよくありました。
(次回にこの件を相談しよう)と考えても時間の経過とともに忘れてしまい、「アレ?何か用事があった気がするのだが思い出せない」ということが皆さんはありませんか?相手の顔を見ることで思い出すことってよくありますよね。
何か、運営について物事を決める際に、対話をしていくうちに最適な答えにたどり着くということもよくあります。自分では「こう行こう!」と考えていたが相手にそのプランを話してみるとそのアイデアはよろしくないと気がつくこともあります。私は自分の考えに絶対の自信を持っているわけではないので、考えの確からしさを確認する上でも世話人リーダーや世話人さんといろいろな対話をするようです。
それは雑談ともいってよく、そして、人間の評価の話もします。
ここで誤解も時々生じるようなのです。
例えば私が世話人Bさんの行動について「アカン」論調の話をAさんにした際に、Aさんは後で「自分も荻野さんに悪口を言われているのではないか」と邪推する人も時々いらっしゃいます。
私は人格の否定に繋がる言葉は言わないように気をつけてはいますが、言葉はなるべく端的に言わないと伝わらないとも思っています。また、メタな表現、例え話も多用しますが、その意味、真意が相手に伝わっていないこともあるみたいなのです。
福祉コンサルのいう「世話人とはあまり密に関わるな」という指導の原因はここにあるのかなとなんかわかってきました。口は災いの元とも言います。
でもそれでよいのでしょうか。
私たちの仕事は「言葉」に尽きる仕事だと思うのです。スタッフへのケースの説明、ご利用者さまへの説明、ホームの雑務に関する業務連絡、すべてが「言葉」ありきです。聖書にも「はじめに言葉ありき」と書かれていますがそういうことで、世界とは言葉で出来ているといって過言ではありません。
各世話人さんにも言葉があり、蜘蛛の巣のように複雑に職員間で言葉が飛び交っている事でしょう。それは公式発言であるLINEWORKSしかり、さらには個人のLINEアカウントで相互フォローしあった世話人同士の内緒話も含まれていてそれらが絡みあい、時には絡まって釣り人同士の「おまつり」のような対人関係のハレーションにも発展します。
風の便りに聞いた話では、あるGHでは管理者が世話人間の連絡を禁止したと聞いて驚きました。LINE等の世話人間でアドレスを交換して連絡しあう事を禁止しているのです。横の関係性を断ち切る事でガバナンスを保とうとする運営方針の様子で、なんだか共産主義の独裁国家のように感じました。
新橋のサラリーマンが居酒屋で酒の肴で話すネタの多くは上司の悪口です。もやもやした鬱憤を、焼鳥の煙のように新橋の空に吐き出して、翌日、二日酔いの身体に鞭打って働きます。表面上は上司におもねながら。ビジネスパーソンの実態とはそんなもんです。
「ピーターパン珈琲」でランチをしながら私の悪口で盛り上がり、親睦が深まるのであればそれはよいことです。むしろ大いにやってほしいと私はたまに世話人さんに自虐的に申し出ます。(※個人情報が漏れないように気をつけてください)
お久しぶりです。
管理者になった時、サビ管に同じ事を言われたのを思い出しました。お話好きの私には無理でしたけどね。
皆で集まるミーティングでは雑談ばかりなのに、蜜になるなと言われても。。。
この業界では一定の数でそんな運営をしているようですね。私には意味がわかりません。
そんなスタイルで事業を拡大しても数年で破綻する気がするのですよ。