ひだまりBlog

漫画『みいちゃんと山田さん』

精神保健界隈で、今、話題沸騰中のこの漫画について、私も言及してみようかと思います。Xでバズりだしたのがきっかけで、3週間くらい前に精神科YouTuberの益田裕介医師が紹介し私はこの漫画を知りました。そして速攻、Kindleで読みました。この漫画についてはYoutubeでは切り抜き動画までできていて、SNS界隈ではみいちゃんの行く末についてじっと見守られている現在です。

ストーリーを述べるとネタバレになるのでしませんが、簡単に紹介するとこの漫画はみいちゃんという軽度知的障害のキャバ嬢と山田さんという同じく美大生キャバ嬢の交流を中心としたドラマで、結末ははじめに描かれています。

決して画力のある絵ではありません。この漫画がバズった理由を分析すると、(これまでありそうでなかった漫画だから)と言えるのではないでしょうか。「2025年の漫画だな」「イマだからだよな」と読者は感じると思います。ドラマの時系は2012年なのです。ちょっと昔であり、携帯はまだガラケーが結構使われていた時代、でもTwitterはあった時代。ファッション等も若い女性が読めば2010年代感がわかるのではないかと。この時間のタイムラグも、この漫画には必要な要素なのです。2012年には、今ほどは発達障害、境界知能、といった考え方が世の中に浸透していませんでした。発達障害を福祉制度が「障害」と認定するのはもう少しあとになるのです。なので、この漫画の登場人物ではみいちゃんの他にも見えにくい障害があって生きづらい毎日を送る女性が出てきます。

現在の登場人物が当時を振り返って(今はなんとかなっているけどあの頃は大変だった)と振り返ったりします。それがとてもリアルなのです。

この漫画の面白さは(あるあるネタ)にあります。「そういえば自分も小さい頃、近所にみいちゃんみたいな子供がいたな」と古い記憶が呼び覚まされたりします。その幼少時の『みいちゃん』はきっと今日もどこかで生きているのですよ。日頃から読書週間のあるような人は、生育とともにその人の周囲にいたはずのみいちゃんを忘れてしまうのです。

「土鳩をたくさん見かけても鳩の雛はみかけないぞ、どこにいるのだ?」みたいなことはよくありますが、これまで社会の中で閉ざさされて見かけずにいた『みいちゃんなるもの』はSNSの発達で少しずつ社会に触れるようになっています。軽度知的障害者、境界知能者、発達障害者、パーソナリティ症の当事者が自分を語るようになってきたのです。私はYouTubeでIQ75くらいの境界知能の女性YouTuberの番組を興味深く観ていたりします。

軽度の知的障害があっても動画配信くらいできるものです。近くでみいちゃんを見かける環境にない人にはわからないことかもしれません。

作中のみいちゃんは「みいちゃんはバカじゃないもん!」といい、せっかく障害に理解のある若い女教諭が担任になったのに、担任の特別支援学級のオファーを受け入れずに飛び出してしまいます。これもあるあるですよね。一方、むうちゃんという対象的なみいちゃんの親友は福祉センターに通っていて、うまくいっています。

作中のみいちゃんはキャバクラや性風俗の場所で一生懸命に生きて社会の中で居場所をつくろうと頑張ります。ですがかなりのハードモードですね。

精神科医益田先生はこの漫画を「臨床的でおもしろい」というような評価をしています。ありのままのみいちゃんなるものをそのまま評価して、(障害はあっても彼らは天使ちゃんなのです)みたいな昔ならよくある表現は決してしませんから。漫画で表現されるのは残酷なまでにハードモードな彼らの人生です。「強く生きろ」としかいえませんよ。

私たちひだまりのいえにももちろん「みいちゃんなるもの」を持ったご利用者様はいらっしゃいます。むうちゃんのように素直に福祉サービスを受けてくれればよいのですが「干渉されたくない!」などと強く主張して飛び出してしまいがちな人もいらっしゃいます。私は益田Drのように「臨床的にみる」ことを心がけて接遇に努めています。

関連記事

コメント

    • 問題とは
    • 2025年 12月 27日

    「素直に福祉サービスを受けてくれればよいのに」という表現は、自己決定を尊重しない一方的な願望に過ぎません。
    また、「干渉されたくない」と自らの意思を示した利用者に対し、「残酷なまでにハードモードな彼らの人生」と漫画の内容を借りて暗にラベリングしており、支援というより管理の視点に立っています。

    実際、自立を目指す利用者に対して、支援者側が「うまくいってほしくない」という無意識のバイアスを抱えてしまう構造があります。
    なぜなら、その人が福祉の外でうまくやっていけば、「自分の支援者としての能力の限界」が問われてしまうからです。

    その結果として、自己決定を主張する人は「みいちゃん的」障害者像から排除され、あたかも問題のある存在として語られてしまう。

    それは「支援」ではなく「支配」です。

    本来、福祉の現場で大切にされるべきなのは、「素直さ」ではなく、「本人の意思」や「自律性」のはずです。
    意思を持つ障害者を「面倒な存在」と見なして排除する視点は、支援ではなく抑圧であり、構造的な差別に他なりません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


新着記事

おすすめの記事

PAGE TOP