ひだまりBlog

職員とご利用者さまの多重関係について

多重関係という言葉をご存知でしょうか。主にカウンセリング、セラピーを行う心理士の世界では大切な言葉で、クライエント(援助の対象者)と支援者の関係性が、仕事における関係以外に多重に関係を築くことです。ざっくり例を上げると、カウンセラーとクライエントが恋人関係になってしまうとか、親戚縁者のカウンセリングをするとか、聞けば誰でも「それはいけない」とわかると思います。支援者と対象者が私的な利害関係を持ってはいけません。しかしながらグループホームの世界といいますか、我がひだまりのいえでは度々、世話人さんとご利用者さまとで多重関係性を構築する事例がありました。これは恥ずかしいことなのです。

グループホームに入所されるご利用者は、入所前の環境がとても劣悪であることも少なくありません。金銭的にも、また頼る人がいないため孤独・孤立感が強く、他人を信じられない人多くもいらっしゃいます。そんな利用者を目にして「なんてかわいそうなのでしょう」と人は思うわけです。洋服の替えもなくボロボロの服を着ていて、少ないお金であってもタバコだけは必要で、シケモクに火をつけ「僕もこれとこれがあったらやり直せる」みたいなことを職員に切々と訴えます。職員は「自分が使ってないこれをあげよう。」なんて思うのです。人間は誰でも好かれたいものです。困窮者へ物品を施す行為は好かれるには手っ取り早いのです。

○タバコ○炊飯器○スリッパ○テレビ○ソファベッド(ジモティーで無料のものを落札して運んで利用者の部屋に搬入した)○ジャージの上下…といろいろありました。

驚くべきこととして私がサービス管理責任者になる前はサビ管を筆頭に物を利用者に渡していたのです。それもテレビだのソファベッドだの。ご利用者さまに物をあげる行為は複数の職員が行っていました。もちろん、皆さん自身はよい行いをしていると信じて疑いません。

「かわいそうだから、このくらいよいではないか」という気持ちではないしょうか。

切々と悩み事を訴えるご利用者、相談に最後まで耳を傾ける世話人やサビ管。

この手の話はこれでは終わりません。ご利用者さまの要求は続くのです。「え、またか」と受け手は思うでしょう。(この前、アレをしてあげたじゃない)「あと、コレとコレがあれば僕はうまくいきます。」このように要望は際限なく続くものなのです。密かに施しをしている側は次第にめんどくさくなってきます。(彼にはいろいろとやってあげたのに)と思い、煮え切らない毎日、だらけて言い訳ばかりの毎日を過ごすその利用者にお説教をすることになります。もう遅いのですが。施しを受けていた者は「○○さんはこれまではよくやってくれたのに、しなくなった!」と施しをした人を非難する方向へ行くのです。それを聞いた施しをした者は少なからずショックを受けたことでしょう。そして秘密の関係性だったことが私の耳にも入ることになるのです。

「物をあげてはいけません」

と私は度々、世話人へいうのですが、この現象は残念ながら絶滅していない様子です。「これくらいよいではないか」と思う人は時々いるのですね。ホームの食事がしょぼいので家から食材をこっそり持ってきて密かに提供するとか。誰か一人の世話人がそのような抜け駆けをしたら他の世話人がどう感じるかってことをイメージしないのかなと不思議に思います。

あるご利用者さまが見たことのないヨットパーカーを着ていたので尋ねると、世話人からもらったとのことでした。先ごろ退職したその職員は餞別のつもりだったのでしょうか。まことに勝手で自分に酔っています。施しをしてさぞやいい気分なのかな。そのパーカーは生ゴミの箱へ放り込みました。もらった利用者さまに申し訳ない気持ちです。「いらないと言ったんだよね」ズボンも持ってきたそうですがサイズが大きいこともあり受け取りませんでした。

私は『やめてくれ』と何度も発信しているのに時々この手のインシデントが発生します。結局、その手の人は退職されるのですよ。この事実も何度も申し上げているのに絶滅しません。この仕事をして、というか介護業界から精神障害者の世界に転じてみて、なぜこちらの世界の人はこの手の行動をするのかわからないのです。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP