ひだまりBlog

地域に包摂されぬ精神障がい者/公園は誰のものか

今日は、話の枕で映画の引用から始めたいと思います。皆さんは『ニュー・シネマ・パラダイス』はご存知ですか?80年代末のイタリア映画で、日本でも大ヒットロングランをしました。私が映画館に二度足を運んだ映画はこれだけなのですが、それはともかく、この映画では広場が大切な舞台装置となっています。シチリアの人たちは何かあれば広場に集まってきます。群衆になります。広場に集まり言いたいことを叫ぶ、皆で団結する、時には映画スクリーンを広場の建物に投影して皆で観るシーンもありました。今の時代なら、サッカーワールドカップの試合後にはワラワラ若者が集まりチャントを歌い出すのでしょう。

その広場に、いつもいた(住んでいた)へんな男を覚えていませんか?ブツブツ独り言をいいながら「俺の広場だ!」と声を上げる人。シチリアの市民はあの男の居場所については特に誰も気にもとめず、彼を茶化すシーンもありましたが、彼も町の一員であったことは間違いありません。

時代が変遷し、例の映画館が取り壊された時もあの男は広場にいて「俺の広場だ!」と独りつぶやいていました。数十年経っても彼だけは変わらない、どこか悲哀を感じる場面でした。

観客の気持ちとして「あなたの広場ですよ!」と声をかけてあげたい気持ちになります。

広場という文化のない日本にあっては、へんな人は公園にやってきます。志村けんの「へんなおじさん」というキャラも公園にいました。「ひとみ婆さん」にしても志村の演じるキャラクターにはモデルとなる人物がいるのです。公園に時々いる、何をして生きているのかよくわかないおじさんは、子供達との接点は多かったりしました。昭和40年代の東京で当時、幼年期だった私は、公園でへんなおじさんに遭遇したり、シミーズ姿のお婆さんが路地まで出てきていたりという、へんな人との邂逅は日常なのでした。

ここで私はノスタルジーだけを語るつもりはありません。

うちの利用者が公園で警察に通報されまして、警察との対応をしながら、私の脳内は志村けんの「へんなおじさん」やニュー・シネマ・パラダイスが思い起こされていたのです。公園内で軽犯罪法に触れることをした利用者は怒られて然るべきです。ですが、「へんなおじさん」はいたって無害な心の優しい人物なのです。「公園に見知らぬ風体の悪い男がいる」この事実だけで、防犯上の案件になってしまうのが令和の世の中なのですか。「野球をしている小学生に話しかける」もう、これもアカンのですか。公園って誰のものなのでしょうか。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP