イーロン・マスクさんがツイッター社のCEOになりツイッター社は一変しました。とてもスピードが早いですよね。取締役を全員解任して取締役は自分だけとか。従業員を半分に減らすとのこと。
3日くらい前にTwitterJPの主に企画的仕事をしているスタッフは全員解雇されて、いきなりPCも使えなくなるとか。6.4兆円で買収してツイッターはイーロンの個人的な玩具になってしまうのかと心配する人も多いと思いますが、意外にもここ数日のツイッターの私のTLの反応はよいのです。
ざっくりいうと恣意的なタイムラインの操作がなくなってスッキリしてきた。自分にとっていらぬ情報が整理されてきた印象を持つ人が多いのです。ツイッターはサブカルチャーでした。「でした」というか現在でもそうです。若者が自分のつぶやきを自由に発信する文化村みたいなカルチャーがフェイスブックにはない利点でした。ですが、運営する人たちの文化、リベラルな文化といいましょうか、例えばハフィントンポストとか朝日新聞系とか意識の高い人が好む発信が尊ばれて、閲覧数はそれほどではないが有意義だと中の人が思う情報がオススメされる傾向があったみたいなのですが、それがなくなったようです。広告主も減って広告収入は減収でしょうが、赤字の原因だった人件費をバッサリとカットしたので収益は上がるのかもしれません。
確かに人件費のムダが多かったみたいです。日本法人ではテレビ番組や映画等のメディアとタイアップするおしゃれな企画をする人の数が多く(高収入で)、ある種のお花畑な仕事ぶりが通用していました。それをイーロンは全員解雇した様子です。彼は内情をよくリサーチしているのだなと感心しました。その現場にいないのに経営者ってわかるものなのでしょうか。
私は世話人さんとの交流で、ホームの現状、空気感、どんなことにストレスを感じているのかをリサーチするように努めています。少なくともイーロンよりスタッフと密な関係性を築いていると思っているのですが、こんなこともあります。
「世話人さんのストレスの原因は荻野さんだった」
労働集約型の福祉の仕事は円滑な人間関係がとても大切です。「何かギクシャクしている空気の原因を探っていったら原因は俺にあった。」これはわりとショック大きいですね。
仕事がうまく進んでいかないと私だってカリカリします。最近はカリカリしている自分を「イカン!」と思うのですが、態度に出やすいのです私は。「LINE WORKSのトークルームを作りたいけど、これ、どうやったら作れるの?」と女性の世話人さんに尋ねられて
「こんなのこうすればいいじゃん。(こんな簡単なことがわからないなんて)」的な応答をしてしまうのです。「最近、カリカリしていることが多くて。」とぼやく私に、その世話人さんは「それでは次第に人が寄り付かなくなっていきますよ」と忠告してくれました。
「上から目線」「デリカシーがない」「モラハラ」「セクハラ」等、これまで様々な批判を世話人さんから受けてきました。ですが自分では自覚がありません。イーロン・マスクと比べたら、私のほうがずっと性格はよいだろうと自分では思っているのです。思ったことをついそのまま口に出してしまう。皮肉をいうのが好き。毒舌が好き。
反省すべき点はいろいろありましょうが、イーロン・マスクのごとくに最適化を目指す方針はよくよく気をつけないといけないなと思います。私はビジネスチャットにおいては「必要かつ十分で簡潔な文章」を求めます。自分でもそこに気をつけて発信し返信しています。これはこれで正しいことですが、人間はロボットのように簡潔な思考をするものではなく、様々な雑念を同時に考えていて、モヤモヤしているものです。
会議は簡潔であるべきですが、仕事では会議のほかに「井戸端会議」「雑談」「わりとどうでもいいおしゃべり」も大切なのです。特に女性にとっては「会議」よりも「井戸端会議」が必須です。(ここでまた炎上か‥)
会議が終了した後に、皆さんが退席しながらポロポロ話す言葉にその会議におけるとても本質的な発言があることはよくあります。あえて簡潔にせず、ムダなおしゃべりすることはコミュニケーションにおいて大切なのです。
とても共感いたします。
いつもお勉強にさせて頂いています。
コメントありがとうございます。初心忘れるべからずですね。