ひだまりBlog

利用者と職員の程よい距離感について/いるだけでいい

「世話人」と聞いて皆さんはどんなイメージを持ちますか。グループホームに職員(世話人)が常駐する時間は、ひだまりのいえでは16:00から翌朝9:00までです。夜間の職員を配置しない事業所も多くて、そのようなホームは21:00あたりで世話人は退勤されます。翌朝の朝食がテーブルにセットされて、利用者はそれを温めて食べるのです。夕食と朝食を作り、リビングなどの共有スペースを掃除する。身体を使った仕事の基本はこれだけです。あとはご利用者さまと適当に雑談をして過ごせばいいのだなと思われるかと思います。確かにそのとおりなのですが、これが意外に難しいのです。

○いるだけでいいとはどういうことなのか?

利用者はたいてい悩みを抱えています。仕事の悩み、体調の悩み、人間関係の悩みなどです。それを傾聴するのが世話人の仕事ですが、一口に傾聴といっても優しいことではありません。「私は人から相談をよく受けるタイプです」「私は心理学が好きでカウンセリングができるのです、精神科医よりわかっています」などと、わりと自信のある方が世話人としてやってくることもあります。3年近く運営をしてきて、私はこの手の謎の自信を持たれる方には警戒するようになってきました。

人間の怖さをまだご存知ないのだなと思うのです。まず心理学を本当に学んだ人は軽々しくこんなことを口にはしません。一方、介護業界の経験者、作業所などの経験者は「私にできるかしら。」と心配する言葉を発します。初回はとても緊張される方もいらっしゃいます。経験上、このような人はうまくできます。想定されるリスクをイメージできる人なのです。

カウンセリングにおける傾聴は50分、60分と予め時間が決まっています。(どうぞ)と言ってクライエントがドアを開けて席に座るところから仕事は始まっていて、カウンセラーはそれなりの専門性を持ち、対象者と向き合っています。世話人が利用者の「相談」を受ける行動はこれとは異なります。夕食後、テレビがついたリビングでなんとなく話が始まり、1時間と時間が経過したりします。話はあっちへいったりこっちへいったり。「誰々さんがこうした、ああした。」とホーム内の悪口、陰口ばかり言い続ける利用者もいて、これはやっかいなことであり、本当はカウンセラーのような専門性を持つ人が事に当たるべきなのです。世話人さんは専門家ではありませんから、自身ではよかれと思って熱心に「相談」を受け、利用者の悩みに応えていこうと努力します。傾聴とはひたすら相手の話を聴くことです。ただこの一点だけの知識より相手と相対するので、無制限の「相談」は井戸端会議のごとくになり、世話人もつい自分の心の中に潜むホームの不満を相手に話してしまいます。世話人と利用者とで共通の不満を共有し、なんとなく一体感を感じ、そして利用者と職員の関係性を超えた多重関係を結んでしまうのです。

(※多重関係性の件は、私はあちこちのグループホームや作業所で起こっているのはないかと勘ぐっているのですが、表にはあまり出てきません。皆さん、そんなに優秀なスタッフばかりなのかなあ。)

世話人は家事以外には、キホン、いるだけでいい人です。「いる」ってことが大切であり夜間、世話人が滞在している事実がご利用者さまに安心をもたらします。利用者に難しい「相談」をされた際には「私には難しいワ」と適当にいなすというか、かわす態度が必要です。世話人は、時には写真にあるようにご利用者さまとオセロに興じたりもします。あくまでも「やろうか」という双方の合意によるものであり、これは世話人にとっての必須の仕事ではありません。世話人と利用者の程よい関係性が保たれたゆえの娯楽です。小難しい話は抜きにしてこんな空気感のグループホームはよいホームだと思います。

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