ひだまりBlog

「親ガチャ」について

朝の情報番組を観ていたら「親ガチャ」について紹介されていました。SNSなどで若者がつぶやいているそうで、(お金のない家庭に生まれたので、環境も恵まれず、よい学校や会社に就職することもできなくて幸せになれない。)(本人の努力だけではどうにもならない。親に恵まれているかどうかが人生の成功の可否に大きく影響する。)という考え方です。

お金を投じるとカプセルが出てくるあのガチャガチャがガチャの語源です。

「環境のせいにするな」という反論も当然あり、また、番組のコメンテーターはバブル崩壊後の日本の格差社会に焦点をあてたコメントをしていました。

“元々、日本は格差社会であった。教育の機会は平等ではなく、貧しい階級の人はそのような仕事に就き、上流階級の人は高い教育を受けて大企業に勤める。もしくは自営業をする。そんな日本の格差社会が壊れたのが先の戦争。戦後の焼け野原の後、誰でも勉強して、いい学校に行けばいい会社に入れる。幸せになれる社会になった。この機会均等の社会は昭和30年以降に固まってきて90年代まで続いた。バブル崩壊とITの発達で単純労働の仕事が減り、社会の構造が変わった。戦前の格差社会が今、また出来上がってきている。”

テレビのコメンテーターの発言を元に私が話をまとめてみました。番組では経済と産業構造の変化が「親ガチャ」の原因となっていると語られていました。確かに昭和50年代の日本では、百貨店のエレベーターにはエレベーターガールがいて、案内をしてボタンを押してくれていました。会社に電話をかけると電話交換手が部署に繋いでくれるし、文書は社員が鉛筆で下書きを書いたものをタイプライターで清書してくれる女性事務員がいました。豆腐は豆腐屋で買い、牛乳もビンの牛乳が定期購入されて、毎朝、配達されていました。駅の改札口にはモギリの職員が立っていました。取引先やスタッフ間の連絡は、電話かもしくはFAXです。デスクにいて電話連絡するだけでもわりと大変なことで、1日の大半が電話連絡で過ぎていく若い社員もいたことでしょう。急ぎの書類送付にはバイク便が使われていました。

産業構造が変わり単純労働だけではなかなか家族を養えなくなってきた今の時代は厳しいものがあります。

ツイッターで「親ガチャに失敗したわ」と語る若者たちの親の世代はおそらくそこそこの会社に勤めるサラリーマンが多いのでないかと思います。一方でマイルドヤンキーのクラスターは「親ガチャ」なんて概念は持たないでしょう。セメントをこねて左官屋として一人前になることができれば新車のアルファードに乗ることも可能です。単純労働は減りましたが、土建業は依然として人の手を要するし、そこには出身大学は関係ありません。そんな彼らはそもそも社会の変化についてツイートすることもないはずです。

親方のいうことをよく聞いて、仕事がつらくても不平を言わず、理不尽なことにも耐えて職人として一人前になる。このような社会は今もあるわけですが、「親ガチャが外れた!」と嘆く層は、親がサラリーマンですから、要するに親は中間層ですから、(学歴→職歴→社会的な成功)という社会のレールから離れる発想はないし、親はそのようには育てていません。子供は無軌道に育てられたのではなく、どちらかといえば、強い支配、過度な干渉により育てられた人も多いと思います。そこで「毒親」というキーワードが出てくるのです。ウィキペディアによれば毒親とは「子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす親」を指し、主に自己愛の強い母親について言われるとのことです。

私の実感では「親ガチャ」というのは親の経済状況よりも毒親かどうかを指しているのではないかと思うのです。

「貧しい家庭に生まれたんだけど、(もしくは母子家庭だったんだけど)なんとか奨学金を利用して東京大学を卒業できましたよ。」とこんなケースもまれにあるはずですが「環境のせいにするな」論の人は(そうだそうだ!こういう人もいるぞ)と主張されると思いますが、こんな家の親御さんは毒親ではないと思います。

今日の結論、「親ガチャ」を決定するのは親の経済力にあるのではなく、親のパーソナリティにある。パーソナリティのおかしな親に生まれた子供は、本人の努力ではいかんともしがたいハンディがある。

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