スマホのニュースアプリに「つまようじ事件を起こした元少年が更生した」話が載っていました。事件は皆さんの記憶にありますか?スーパーマーケットで食品の袋につまようじを刺す動画をYouTubeに上げる事件が8年前にありました。その犯人は①15歳の時にネット掲示板に犯罪予告の書き込みをして少年院に入り②その後も同様の事件で少年院に入り③19歳でYouTubeにおいて爪楊枝を入れる動画をアップし、さらには警察へ「捕まえられるものなら捕まえてみろ」と挑発する発言もして全国指名手配されて3度目の少年院に入りました。そんな彼はその後福祉との関わりを持ち、社会での居場所を得て更生したという話でした。
この人はIQが77と境界知能で自閉スペクトラム症でもあることから「ケーキが切れない非行少年たち」と同じクラスタだということでケーキが切れない当事者としてABEMAプライムに出演されたのでした。
その人は番組の中で「社会に居場所がなかった」「(犯罪予告やつまようじ事件などについて)迷惑になることを楽しんでいたフシがある」と自分を分析していました。
ケーキが切れない人たちはそもそも反省ができないとも指摘されています。
反省という概念がいまいちわからない自閉スペクトラムで境界知能の人は何度も犯罪を起こして少年院や刑務所に入るという現象があるのですが、矯正教育の専門家は「境界知能や自閉スペクトラムと犯罪には直接的には関係性はない」といいます。
「世の中には境界知能の人は14%いて、地域の中で重要な仕事をしている。頭のいい人、大学に行くような人はそんな仕事はしない。」とも。
私は、ゴミ収集車の人たちが後続のクルマに丁寧におじぎをしながら走ってゴミを集めてそれを収集車に投げ込む今朝見た光景を思い出しました。通勤時の私は「頭が下がるなあ」と思ったのですが、おそらくあのようなベージックな仕事に従事する人の中には境界知能の人も多いのではないかと思ったのです。例えばの話です。
境界知能が犯罪を産むのではなく、境界知能や軽度知的障害であるために親にも馬鹿にされ、場合によっては虐待もされ、学校に行けば友達にからかわれる、虐められるという経験から自己肯定感は低く、そして、「反省」「悪いことをしてはいけない」という抽象性が求められる道徳概念を理解することが苦手なため、反社会的な行動をして幼稚な溜飲を下げることをするのでしょう。
ABEMAプライムに出演したつまようじ事件の犯人は、福祉につながり社会性を得て、仕事をするところまで自立しました。このような話を聞くと、私が関わる自立援助ホームという社会資源もとても大切だと感じるのです。自宅において居場所のない発達障害や精神遅滞の少年の居場所なのですから。
とはいうものの、我々にとって居場所の提供はけっこう大変な仕事です。
勝手に外泊をする少年がいるとしましょう。彼は門限を破り、ネットで出会った女の子と外泊をするのです。翌朝、帰ってきた少年は悪びれた様子もなく、いつもと同じように過ごしています。注意をしても改善はなく、ほんとうの意味での「反省」はしません。
警察にやっかいになるとそれなりにいけないことをしたと思うようにも見えますが、しばらくすると同様の行動をまたやります。私達の仕事はクライエントへの受容の気持ちが大切なのですが、帰りが遅ければ心配するのは当然の気持ちです。親御さんであれば厳しく叱責することでしょうが、福祉施設においてはうっかりすると「虐待された!」と訴えられかねません。実際、私はある子供に「虐待を受けた」と児相に通報されて、県の児童家庭課による聞き取り調査を受けた経験もあります。
自分の都合よい解釈で、社会に甘え、時には嘘もつき、反省もしない人を相手に福祉サービスを提供し続けるのはけっこう骨が折れるのです。
児童相談所のワーカーは私に対して「彼はここでやっと居場所を得たので、失敗の経験をさせてくれませんか」とお願いをします。確かに、ここがなかったら彼には行く場所はありません。
つまようじ事件の犯人の更生した様子をみて、私たちには「ゆるす」気持ちが大切なのかなとも思います。福祉サービスにおいて「ゆるす」という行為、作業はもっとも難しいことでもあります。私はまだまだ未熟な大人なのでしょう。
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