これまで特に意識することなく使っていたモノがなくなってから不便を感じることがあるものです。
かつて国鉄が民営化されてJRになった当初、駅のトイレのトイレットペーパーが廃止されました。トイレの入口に50円で大きめのポケットティッシュくらいの紙が販売されていました。私は「大」をもよおす緊急事態において小銭がなく販売機で紙を購入できず、それでも他に選択肢がなく排便したことがあります。ホッとした後に「さてと、これからどうしたものか」と新たな試練が待ち受けているのでした。
JRのトイレットペーパー廃止はとても不評を買ったようでしばらくしたら復活しました。
今日は昼食を牛丼屋で済ませたのですが、紅生姜は当然、フリーに置かれています。客は自由に食べてよいことは全員が知っています。
ひだまりのいえではインスタントコーヒーが置かれています。キッチンに置いてあるコーヒーは誰でも飲める環境下にありました。それが、あるホームのご利用者さまは飲めなくなることになりました。砂糖をたくさん使う方がいらしたのです。私達はコーヒー向けのグラニュー糖などを用意してはいません。コーヒー好きにとってコーヒーはブラックで飲むものであり、社長の谷本はコーヒーが好きでちょっとした好意でインスタントコーヒーを置いたのでした。世話人向けとのことでした。でも置かれていれば利用者も飲むものです。私はインスタントコーヒーを利用者にとってもフリーであると認識してそのように説明していました。
ですがグループホームのご利用者さまには、塩梅を理解しにくらい方が多いものです。
時々「(調理用なのですが)砂糖がない!」と強く訴えられるご利用者さまを前にして私はどうすべきか熟考しました。コーヒーを飲むための砂糖が切れた、もしくは切れそうだという状況です。「今すぐに買ってきてください!」と世話人に強い調子で言ったり、わざわざ私に砂糖の件をメールで知らせてくるのは、“ちょっとちょっと”です。『コーヒーとそれ用の砂糖は常備されていないといけないものではなくて、そもそも谷本さんのちょっとした好意で置かれているもので…』と弁解のように説明するのも何か変だし、このファジーな塩梅を読むことが難しいのはその方の特性なのです。それでインスタントコーヒーの提供自体をそのホームではやめることにしました。
「他のホームではどうなんですか?」と当然、質問がありました。他のホームでは皆さんが常識的に利用されていて問題が起きていないのでそのまま続けます。「生活のルール」はこのように全ホームがすべて統一されているわけではなくてローカルルールも発生します。
このご利用者は釈然としないでしょう。でもわかりやすい処遇を考えるとこうなります。
牛丼屋においても客が常識的に使っているからこそ紅生姜はフリーに置かれているのです。
ある飲食店チェーンが中国での店舗を展開した時に、紙ナプキンがすぐになくなってしまうので提供するのをやめたと聞きました。ごっそりと持ち去る客が多いそうなのです。同様の理由だと思いますが多くの国では公衆トイレにトイレットペーパーは置かれていません。なんとなく皆がコンセンサスをとっているので自由にできていることは社会ではわりとあります。しかしながらグループホームにおいてはこのような些細なことで問題点が生じます。ひだまりのいえはルールの少ない自由さをウリにしていますが、必要になればルールは作られます。もしも先のご利用者さまがこの文章をお読みになったならば、どうぞご理解してくださいませ。
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