今回のブログはとりあえずタイトルから決めてみました。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という本がベストセラーなったのは、調べたら2004年でした。よいタイトルの本は売れます。当時は「人生に必要な…」で始まる類書もけっこう出版されました。人々は人生に必要な知恵を「マグロ漁船」で学んだり「ディズニーランド」で学んだり「性風俗店の黒服」として学んだりしたものですが、私にとっては採用面接の場だったのです。
求人とそのリアクション(応募)はその時代の世相を反映しています。バブル期にはボンクラ大学生が企業説明会に参加しただけでお車代がもらえたこともありました。インターネット以前は、ビーイング、とらばーゆといった求人雑誌を発売日に買ってその日にチェックしたものです。インターネット普及後は求人サイトやエージェント会社が幅を利かせ、今は本当にスキルのある人材の転職サイトはビズリーチ、パート採用はindeedが媒体力を持っているようです。
思えばもう3年半、パート採用の面接をしてきましたがいろいろな人がやってきました。
初めの頃は男性の世話人さんが多かったのです。媒体は『ジモティー』でした。ジモティーに求人コーナーがあることすら私は知りませんでしたがありました。このサイトは不要な物品の交換以外に友達募集のカテゴリーもありいくつかの部屋があってコミュニティーを形成していました。この手の場所にはマルチ商法が入り込んでくるものですが、今日はこの点には触れません。確かにジモティーにはグループホームの求人がいくつかあり閲覧者には40代の男性が多かったようです。ジモティーで物々交換をするくらいですから人生が順風満帆な人はいません。「今は無職だが一発逆転を狙ってビッグになりたい。楽に儲けたい」と願う中高年がジモティーを住処としていました。「夜勤帯の仕事で夜中は寝ているだけでいい」というGHの世話人という職はいい歳をしたモラトリアムには好都合だったのです。
よって、クセのある人が多くやってきました。
20歳くらいの青年がやってきたことがありました。ホームはまだ芝山と金杉の2箇所の時代、若い男性がジモティーでやってきました。私は期待しました。が、ある時、夜勤の時間に出勤せずそのまま失踪のごとく姿を消しました。私は彼を待ちながら3日間連続でシフトに入りました。疲れました。しばらくしてひょっこりと連絡してきました。「クルマと接触して救急車で運ばれました。その時にスマホを壊してしまいました。それで連絡できませんでした。今は身体も治りました。いつから働けますか?」といきなり言われても。彼のいうクルマの事故の時間の後で、LINEの既読がついている事実を私は見逃しませんでした。都内からはるばる通勤している体(てい)の彼はすぐ近所で目撃されることもあり住所地が本当かどうか今となってはわかりません。不思議な青年でした。
東大の大学院中退の男性もやってきました。この人は穏やかな性格の方でしたがぐうたらしておりました。掃除はしないし、洗い物もほったらかして本を読んでいたりします。教え子に卒論の指導を頼まれたといって当日のシフトを休んでしまうことが複数回ありました。その代わりに私が入るのですが、どちらが上長なのかわからなくなります。退勤時間後も仮眠室にずっといるので「住居を持っていないのか」と疑いました。すぐにバレる嘘をついてしまうのも彼の特徴でした。
シフトの交代時、私が入室しても「お疲れさまです」と一言いうもののその後は顔を背けてずっとスマホをいじくっている中年女性もいらっしゃいました。バラエティ番組をご覧になっている時もあり、私がリビングにいることが目に入っていないわけはないのでしょうが、テレビを観ながら時には笑っているのです。リビングでは申し送りの言葉もなく、私が「21時になりましたよ」とお声掛けすると、すっと無言で鍵と日報を私に手渡すのです。私は管理者なのですよね、これでも。
(面接の時にどんな人物かわからなかったのか?)疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。分かる場合もありますがそれでも採用しないとならない時もあるのです。人手不足とはそういうものです。
世話人という職種はパート求人にあってスキマ職種といいましょうか穴場職種なのではないでしょうか。時間を売る「パートタイム」という雇用形態での仕事は働く側にしたらラクに働けるに越したことありません。「とにかくラクなバイトはないものか」と隈なく検索する人々には「世話人」のワードは訴求力があるのでしょう。まあそれでよいのです。
私は世話人採用の面接をするようになり社会の裏側といいましょうか日陰の部分が見えるようになりました。身体障害者も精神障害者もそれだけでは「日陰」とは異なります。彼らは社会の仕組み、福祉というシステムに引っかかっています。一流大学の大学院まで行きながら福祉業界のパートに甘んじている男性、俺はビッグだ!マルチ商法でひと山当てたいと夢を見ながら現実はパートに甘んじている男性、40代以上になっても特に何か特別なスキルを持っていない(手に職がない)男性、女性。女性の場合は、お面がよい人は結婚します。しかし結局、離婚することになり一人で生きていくことになるのですが、そうなった時に、お顔以外に特に誇るものがなく、加齢とともにそれも衰退して気がつくと仕事のスキルは何もない、じゃあどうしよう、介護は、身体介護(おむつ交換や入浴介助)はできそうもないから、知的障害者相手ならできるだろうと軽く考えていそうなシングルマザーもいたりします。この私にしても彼らの世界とさほど遠くない場所にいました。サラリーマンとして20年ほど勤め上げていた場合、その後リストラに遭い、会社から放り出されてから「私は課長ができます。」なんて面接の場面で滔々と述べているかもしれません。面接で出会った方は私に教訓を与えてくれたわけなので感謝をすることにしてこの文章を終わりにします。
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