ひだまりBlog

バカが幸せに生きるには

ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自殺しました。61歳という若さで悔やまれます。テレビでは生前の上島さんの言葉が紹介されていますが、彼の言葉で特徴的なのは「今の成功は周囲の人たちのお陰である。自分一人では何もできない。よい縁に恵まれてとても運がよかった。」ざっくりいうと折り目折り目にこんなコメントを発していたようで、先輩や後輩思いの彼の人柄の根本はこのようなところにあるのだと感じました。

上島さんはリアクション芸のコメディアンとして稀有な才能を発揮しましたが、確かにリアクション芸は一人ではできません。ダチョウ倶楽部の他の二人との絶妙なやりとりが必須で自分一人では開花しないことをご本人は十分に意識していました。

このへんは私も同様なのです。

私はサービス管理責任者や管理者としてひだまりのいえで働いていますが、できないことが多いことを自認しています。まず、家事が苦手です。料理は毎回レシピを読まないと作れないし掃除も苦手です。整理整頓が苦手で自宅においては定期的に家事代行サービスを頼んでいます。私の仕事は細かい配慮を要するのですが、けっこう神経を使います。ご利用者さまのケアマネジメントは頭脳を使うのですがうまく進行しないと疲労がたまるものです。かねてより睡眠障害もあり夜勤時には眠れないことが多く、また朝起きるのが苦手という、グループホーム利用者と同様の課題を抱えております。世話人としてはデキが悪いのです。20名以上の世話人さんに指示を出すのも私の仕事ですが私自身はたいしたことありません。

そうは言うものの、現在、5箇所あるホームをどうやってスムーズに運営させるかを考えて工夫しています。これは己を正当化する理屈なのですが、私自身の家事能力は低いからうまくいくのだとうそぶいております。台所を支配するタイプだったら世話人さんは仕事がしづらいだろうと思うのです。

私の仕事は一人ではろくに何もできないのです。周囲の人たちが動いてくれているのでどうにかだいたい正しく運営されています。

上島さんは周囲のご縁に恵まれて才能が開花しました。彼の生活者としてのポンコツぶりは知られたことですが、世の中の人々の半分はデキの悪い、言葉は悪いですが、バカといってよい人たちです。バカはバカなりに生活していくほかないのですが、バカが生きにくい社会になりました。テクノロジーの発達で単純労働がどんどんなくなってきています。コンピュータが業務を効率化し、単純労働者を駆逐しています。芸人としての才能がない上島竜兵みたいな人は今の社会をどう生きたらよいのでしょうか。私自身はかろうじて社会の片隅で引っかかっています。「縁があった、運が良かった」というほかないのですが、運のない人はどうしたらよいのか。パートさんの採用面接をしながらこの手のことをよく考えます。

社会福祉業界で働く人たちは私も含めてデキの悪い集団です。知識集約型の産業では勤まらないからこちらにやってくるのです。プログラミングもできない、英語も話せない、エクセルも使えない、計算が苦手、スーツを着て働くホワイトカラーの職場にはいたことがない、いてもアシスタント程度、でも年齢は重ねてきた、男性の場合はプライドだけは高い場合が多い、という特別な能力のない人たちのために労働集約型の福祉業界(グループホーム業)はあります。世の半分を占めるバカが幸せに生きていくにはどうしたらよいのか。上島さんの自殺で考えてみたりしますが答えはみつかりません。

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