オリンピックが始まりました。緊急事態宣言下にありオリンピックどころではないと個人的には思っていますが見切り発車しましたね。「ダイバーシティ&コンクルージョン」が今大会のテーマとのことで、君が代を歌ったMISIAさんの衣装もレインボーカラーが使われていました。そこでです。我がひだまりのいえのキャラクターデザイン(クジラの)にもレインボーが使われているのを皆さんはお気づきでしたか?
多様性の尊重とそれを包接する社会をひだまりのいえも理念としています。
東京五輪のテーマについてはつい最近知りました。小山田圭吾氏の障害者いじめの過去の件と元ラーメンズの人のホロコーストをコントのネタに使った件。この2つについて少し語りたくなりました。
小山田さんは、私はファンでした。90年代は彼の音楽をよく聴きました。当時は音楽通には渋谷系が流行りでしたが、小室哲哉ばかりがラジオで流れる状況には私は辟易していました。コーネリアスはイギリスの最先端のポップを輸入していましたからオシャレでした。みんなと趣味がかぶることを嫌う逆張り好きの私は食いつきました。小山田さんの斜に構えたキャラについては特にかっこいいと思うほどに私は若くはありませんでしたが、ロックの人なので酔狂な行動をするものだろうとは思っていました。
2000年代になり小山田さんのことは忘れていましたが、2ちゃんねるでは彼がいじめについて語るインタビューのコピペがよく貼られていました。ネット上では10年以上前から貼られ続け、若い人なら皆さんなんとなく知っていたでしょう。ロッキング・オン・ジャパンの記事を読んだ時には少なからず驚きました。すぐにバレるほらを吹いているのかとも思いましたが、雑誌や書物に複数、それもそうとうな分量で、とても口にできないひどい虐待が武勇伝のように語られているのを知りとても驚きました。もう、彼の音楽を聴く気はしないです。
この件を私なりに総括すると、小山田氏はこれまで法的な処罰をなんら受けてこなかったことがいけないのだと思います。刑事的犯罪は法に裁かれることで社会は決着をつけます。
彼はこれまで何も釈明もせず、よりによってパラリンピックの仕事を受けていたのです。悪を働いている自覚が希薄なのでしょう。ある精神科医は「彼はサディストではないか」と述べていましたが確かにそうでしょう。20数年後にこれだけの社会的制裁を受けることを私は妥当だと思います。もう表舞台に出てくることはないでしょう。
元ラーメンズの人のホロコーストコントの件。私も動画を観ました。一発アウトでした。1998年のVHSビデオとこれも古いのですが、ホロコーストについてはもっと前に文藝春秋の雑誌「マルコポーロ」で「ホロコーストはなかった」というトンデモ記事が掲載されて一発で廃刊になりました。当時はインターネットがまだ黎明期でしたが、我々日本人はホロコーストに対しての認識が甘すぎました。
日本人は善悪を二元論としてすっぱりと分けることを好まない傾向があります。「まあ、そういっても、悪い方にもそれなりの事情があって…」などと裁かれる側にも理解を示すことが民主的に思えるものです。責任の所在をはっきりさせる西洋の文化とは異なるところです。オリンピックは西洋の思想の賜物です。JOCはホロコーストの件はとても早く処分を下しました。ダイバーシティの思想を謳う日本と世界というか西洋は、二元論的に白黒はっきりと態度を示す必要があります。いじめは悪であり「いじめられる側にも原因がある」という主張は現代には通りません。LGBTの人がそれだけで不利益が生じることがあってはならないのもいうまでもありません。障害者に対しても同様です。先の二人への処分になんとなく釈然としない方は、2021年にあってはこの世界にアジャストする必要があると私は思います。私自身も変わる必要があるのです。
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