ひだまりBlog

苦節20年が報われた人

毎日どこかの局のテレビ番組に出ている人、鈴木エイトさんはご存知ですよね。

安倍元首相が銃弾に倒れたのは今年の7月8日。確かその4日後くらいに旧統一教会は記者会見をしています。田中さんという能面のような顔つきのあの方が日本法人の会長です。

(銃撃事件→犯人は教団に恨みを持ち本当は教団会長を暗殺したかったがコロナ渦等で近づけなかったので代わりに安倍元首相を討った→「え?なぜ安倍さんがターゲットに?」→の世論の声に応じるように犯人の供述はその悲惨な生活歴にあり、問題の所在は母親の1億円にも上る教会への献金によるものだったことがわかってくる→旧統一教会が記者会見をして異常な献金の実態を否定)そこまで4~5日でした。

4ヶ月も経つと事件当時の空気感は忘れてくるものです。岸田首相は事件の4日後に国葬儀を決めました。あの空気ならばそれもありでしょう。山上容疑者の供述により「統一教会」というワードが30年ぶりにメディアの大通りに上がりました。有田芳生さん、紀藤弁護士といったおなじみの顔ぶれもありましたが、『鈴木エイト』という名前からみてもイエロージャーナリズムの媒体でしか目にしなそうな人が突然中央に出てきたのです。

田中会長のあの会見時の記者たちの質問はそれほど鋭いものではありませんでした。なぜなら統一教会ネタに詳しくなかったからです。有田さんですら国会議員になられてからは前線から遠ざかっていました。あの記者会見の場に鈴木エイト氏はいました。そして会見後に大手メディアの記者たちに向かって「自分はすべての資料を持っている。俺をテレビに出せ!」と言ったそうなのです。この20年間、エイト氏はコツコツと統一教会関係の取材を続け、それは身の危険も感じるものでした(現在も)。取材したネタをマスコミに持ち込んでも買ってくれる媒体もなく、唯一、週刊朝日の副編集長だけが相手にしてくれて記事となったそうです。その他は実話BUNKAタブーみたいな実話系が主で「本当かウソか信じるのはあなた次第」系統のB級メディアにしか彼の記事は載らなかったのです。

20年間の苦労が報われたのですね。鈴木エイト氏は大学卒業後、25歳くらいまではロックバンド活動をしていたそうで、ジャーナリズムの道へ入ったのも統一教会の被害者と偶然出会ったことがきっかけだといいます。大手メディアの記者たちは早稲田大学等のマスコミに強い学校出身者が多いものですが、彼は入学するのに優しい門戸の広い大学出身者です。

彼のこれまでの仕事人生はほぼインディーズといってよいと思うのですが、7月8日を境に突然、メジャーな世界に躍り出ました。こういう人を応援したいのです私は。エイトさんは私と同じ大学学部出身だったのです、なおのことです。

多くの人が参入している世界でナンバーワンになるのは難しいことですが、参入者が少ない世界では、それほど難しくないことを鈴木エイトさんは示してくれました。『歩』が成って『と金』になりたいものです私も。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP