今日のブログのタイトルは私自身のことです。ここ10年くらい主にネットニュース等で発達障害のために職場でうまくやれない人たちについてクローズアップされるようになりました。発達障害というのは自閉スペクトラム症(ASD)、ADHD、LDの主に3つです。詳しくは各自ググってほしいのですが、その定義について、昔に比べると範囲が広くなりました。かつてアスペルガー症候群(ASD)と呼ばれたのは人口の1~2%と言われたものですが、現在の解釈だと5%くらいはいるのではないでしょうか。
ADHD(注意欠如/多動障害)はもっといらっしゃるのでは。公表している著名人でも、カート・コバーン、黒柳徹子、小島慶子等。おそらくそうだろうとしてチュートリアル徳井さん、イチローさん等。枚挙にいとまがないです。
かつて「電気、ガスを止められた!」とツイートしていた徳井さんは私と同様のタイプです。
私は小学校低学年の頃、学校で机の検査があると中からカピカピの食パンが出てくるような子供だったのです。隣の女の子の机の中は教科書がきれいに揃っていたものですが、私にはそれが驚異でした。私の教科書はトランプを切る時のように重なり合っていますから。そんな私でも勉強は中くらいにできたので人間としての劣等感はあまり感じることもなく、また成長するにつれて治ってくるというか、できることも増えて、特段、生活で不便を感じませんでした。親が自宅の環境を整えていたことも気づかない大きな理由です。
中年期以降になり、子ども頃の障害というか、「できない感」を再び感じるようになってきました。若い頃は、若さの気力で補えていたようなのです。これまで整理整頓は、他の人と比べると多大な労力を要するが、なんとか気持ちがあってできていたのです。
それでも自分自身が発達障害であるなんていう考えはありませんでした。この仕事に就いて発達障害の人と毎日のように接したり、本を読んでからです。気づいたのは。
自分の生活の中での生きづらさについてADHDというワードを当てはめるととてもしっくりくるのです。腑に落ちるのです。
まあ、私はとりあえずこの年齢まで社会の片隅で引っかかっていたので手帳を取得するほどの発達障害ではないと思いますが、グレーゾーンといっても大げさではないのではないかと思っています。
発達障害を印籠のように掲げて自分のできの悪さを免罪符にすることはいけないことだと思います。その人にとって適性のある仕事をしていくしかないと思うのです。私の場合はそれが福祉職だったみたいです。今の仕事はめぐり合わせといいますか、ちょっとした運で手にしたのです。私のよかったことは、コツコツと継続して頑張ってきたことですね。本当はコツコツというよりもガッツン!と大きな石ころに躓いたり、壁にあったりで、また息継ぎもなしに25メートルをクロールで泳いでいるような感覚もあります。
何十年も福祉職をやってきて感じるのは、福祉の仕事はハードワークであってはならないことです。それはどこかで事故を招いたり、サービスの低下を引き起こします。私は個人的には頑張ってはきましたが、組織というものは個人の頑張りに頼っているようでは駄目なのです。HPでは「標準的なサービス」を謳っていますが、うちはまだまだと感じる昨今です。
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