ひだまりBlog

好かれる人は○○を忘れる

YouTubeを見ていて興味深いチャンネルを見つけました。仏教の教えをわかりやすく解説するチャンネルなのですが、「好かれる人は○○を忘れる」これ、なんだかわかりますか?

好かれない人は忘れることがなくて人が去っていくらしいのです。○○の答えは「親切」です。好かれる人は他人へ与えた親切をあっさり忘れてしまうようなのです。逆に嫌われる人は与えた親切をいつまでも覚えている人なのです。好かれる人は他人から受けた恩は忘れにくいそうで、仏教用語では知恩と言って、人間はまず自分が受けた恩を知るってことが大切なのだそうです。その反対は忘恩、背恩、逆恩です。受けた恩を忘れる、恩に背く、逆に恩を仇で返す、これはあかんのだとお釈迦様は説いているそうです。

しかしながら人間は、自分が行った親切はいつまでも覚えていがちで、ついつい『私は○○さんにこんなことをしてあげたのに』としてやった感をいつまでも主張しがちです。

障害福祉の世界に入ってから「してあげたのに」感を大きく表す人に出会い私は戸惑いを覚えました。なんかその相手に対して上からなのですね。ボランティアという語を口にしがちな人に多くて、ご利用者さまに対して、仕事モードでなく、プライベート感あふれる気持ちで施しを行うので、見返りが来ないとか、裏切られたとか思ってしまうのです。

他人への善意について、小説家の故吉行淳之介はエッセイでよくこんなことを書いていました。「他人へ善意を行う際にはそれが二倍の悪意として返ってくることを覚悟して行うべし」

一行に要約するとこんな内容です。終戦後の物資が困窮していた頃、吉行はある娼婦の元を訪れました。赤線です。何回かリピートしてある程度のなじみ客だったのでしょう、吉行はジャムパンを娼婦に渡しました。とても価値のある差し入れだったことでしょう。お気に入り嬢に小さなプレゼントをして満足な気分だったことでしょう。さて娼婦との行為へと向かうわけですが、その娼婦は行為の最中にジャムパンを取り出してムシャムシャと食べ始めたのです。そこで「他人への善意はそれが二倍の…」に繋がるのです。吉行には「してあげた」感があったのです。性風俗店の客としての優越な気分です。それが奢りであることに気づかされたのですな。

人間は善意をしたい願望はあるものだし、それを認めてもらいたい気持ちももちろんあります。ですがお釈迦様は他人への親切をいつまでも覚えている人は嫌われるよと説きました。深いですね。

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